あれから23年、今日は阪神淡路大震災があった日ですね。
夫は神戸出身なので被災しています。当時中学生、初めてその話を聞かせてもらった時は驚きました。被害の大きかった長田区よりは少し離れていましたが家屋は全壊、家族で避難所生活を余儀なくされたそうです。
その時の詳しい話はお義母さんが手記にまとめてあり、結婚した時に私に下さいました。初めて聞く、被災者の避難生活。それはとても困難で読み進めるのが辛かったです。家族は幸い全員無事でしたが家族1人1人を母親からの目線で書いてあり、涙が止まりませんでした。
この話はまた機会があれば記事にしたいと思います。
当時、夫は倒壊した自宅に埋まっていてお義母さんも諦めかけていたらしいです。
どこを探してもいない、呼んでも返事がない、泣き叫ぶ姿を夫は埋まった場所から見ていたそうです。「おかんのあんな姿初めて見た」そう思ったらしいです。
暫くして、夫も返事が出来るようになり近所の人の協力の元、引きずりあげてもらいました。
たまたま、夫の寝ていた場所が良かったのか家は全壊しているのに夫の周りだけ空洞が出来ていてそこに上手いことはまって生きていたらしいです。
その後、大変な避難所生活が始まっています。
夫も立派な男手なので、生きている人はいないか探したり、瓦礫の処理をしたり色々していたみたいです。
夫と出会って初めて知る、避難所生活は本当に想像できたものじゃなく、大変だったんだなとどんな言葉がいいのかもわかりません。
そんな夫ですが、本当に心が優しく、家族思いです。
本人は「震災で生かされた事に意味があるやろうから」と言っています。
話は変わりますが
我が家は新興住宅地です。私達が入居した時はまだお隣さんは誰も住んでおらずでした。暫くして、買い手が見つかりお隣さんがうちに挨拶に来てくださいました。
ハツラツとした奥さんに3人の子供。上の子はもう高校生です。
うちには幼児がいるのでうるさかったらすいません~~なんて言ったりして挨拶は終わりました。
何度か外で顔を合わす度に当たり障りのない世間話をし、出身はどちら?という話題になりました。
「私は大阪で、夫は神戸です」そういう話もしていました。
そしてその夏頃、私達は帰省したのでお土産を(普段うるさくしているし)渡しに行くと「神戸のどこ?」となりよくよく聞くと夫の実家のナナメ前のマンションに住んでいた人でした。
えーーーーーっと驚き、話の辻褄を合わせるべく夫を呼び出し話を進めます。
すると隣の奥さんはあの地震のあとは引っ越ていて、結婚して、たまたま今の家に引っ越してきたみたい。
でも夫の名字に反応して
「え、もしかして◯◯ちゃん??」
と急に思い出したかのように聞いてきました。
するとビックリです。
お隣の奥さんのご両親があの被災した日、夫を助け出してくれた人だったんです!!
夫も奥さんも震災前の風景を照らし合わせていたり、震災後の話をしていたり、奥さんのご両親に電話を繋いでもらい改めてお礼を言ったり。
すんごい縁だなー。と思いました。
夫のお義母さんにも報告です。すぐには思い出さなかったのですがやっぱり覚えていたようで驚いていました。
お義母さんもまた、お隣の奥さんとご両親に改めてお礼を言っていました。
本当に不思議なご縁です。
命の恩人がお隣に住んでいます(^^)
最後に
私も美容師時代は神戸の店舗に配属されており、夫の実家からも近く沢山のお客さんと出会ってきました。毎年1月17日になるとお客さんから当時はどうだった?と大阪の私に聞いてくれたり、美容室が断水していてバケツリレーをして接客してもらったのよ。住宅がなくなるから二重ローンを組んでる人も多いのよ。などその後の大変さも教えて下さいました。
また私のお客さんだった大学生の男の子。兄弟でお店にカットしに来てくれて、いつも楽しい話やファッションの話、大学の勉強の話、将来の話、色々してくれていました。
私が美容師を退職してから、テレビで震災のドキュメントが放送されていてその男の子が出ていました。そっかあの子も被災者だったんだな・・・とその時初めて知ります。(美容室のお客さん全てが被災されているわけではないので)
食い入るようにテレビを見ていましたが、あんなに素敵でいつも明るかった男の子も家族を震災で亡くしていました。そりゃ、美容師になんて言わないでしょうがいつも楽しい顔を見せてくれていたあの男の子が・・・っと驚きました。
沢山の悲しみを背負っていたんだなっと思いました。どうか今は夢が叶っていますように。そう思います。
本日は最後までお読み頂きありがとうございました。